江戸の居酒屋1800軒から見る酒文化|剣菱・土佐鶴・梅錦が「うまい」と感じる理由

雑学

江戸に居酒屋が1,800軒もあったのは本当? 文化8年の史料と大坂の酒文化、さらに剣菱・土佐鶴・梅錦の味わいから、日本人の「うまい酒」を考えます。

結論

  • 江戸では文化8年(1811年)に居酒屋1,808軒が確認され、食類商売人7,604軒の約23.8%を占めました。
  • 大坂には同時期の「居酒屋○軒」という江戸と同一基準の統計は確認できず、料理屋・茶屋・仕出しなど独自の飲食文化が発達していました。
  • 江戸で人気だった酒の多くは上方から運ばれた「下り酒」で、伊丹などの酒が高く評価されていました。
  • 酒の好みは「辛口」だけでは説明できず、酸・旨味・コク・キレ・燗映えなど複数の要素で決まります。
  • 剣菱、土佐鶴、梅錦をうまいと感じる人なら、華やかな香りより食中酒としての骨格やキレを重視する可能性があります。

FAQ

① 注目ポイント・注意点

「江戸=1,808軒、大坂=それ以下」と単純比較するのは危険です。大坂については同じ分類・同じ年代の居酒屋総数が確認できないためです。また「辛口」「淡麗」だけで酒の味を判断することもできません。

② 重点の内容

この記事では、文化8年(1811年)の江戸の居酒屋1,808軒を起点に、江戸と大坂の飲食文化の違い、上方から江戸へ運ばれた酒、そして現代にも通じる「酒のうまさ」の感じ方を整理します。

③ どんな読者におすすめか

江戸時代の食文化、日本酒の歴史、灘・伏見・土佐・愛媛の酒に興味がある人、また「いろいろ飲んできたら、結局どんな酒がうまいのか分かってきた」という酒好きにもおすすめです。

江戸の居酒屋と「うまい酒」を飲み続けて見えてくるもの

江戸にはなぜ1,800軒もの居酒屋があったのか

文化8年(1811年)、江戸の町では「食類商売人」の数が調査され、その総数は7,604軒。その中で居酒屋は1,808軒と、業種別で最も多く、およそ4軒に1軒という割合でした。東京都公文書館にも、文化5年から文化8年にかけての江戸の産業・経済・流通関係史料がまとめられています。

この数字は、江戸の人々が単に酒好きだったという以上に、酒を飲むことが日常生活に組み込まれていたことを示しています。

居酒屋の原型は、酒屋で酒を買った客が、その場に「居て」飲む「居酒」にあります。18世紀半ばには「居酒屋」という名称が史料に現れ、宝暦2年(1752年)の記録にも確認できます。

しかも江戸の居酒屋は、酒だけを出す店ではありませんでした。煮豆、煮しめ、田楽などの肴を出し、仕事帰りの庶民が酒と食事を一緒に済ませられる場所でもありました。

つまり江戸の居酒屋は、現代でいう「飲み屋」であると同時に、庶民の日常食堂でもあったわけです。

大坂は「飲み屋」より料理・宴会文化が発達した

では、同じ時代の大坂はどうだったのでしょうか。

ここで重要なのは、江戸の1,808軒に対応する「大坂の居酒屋総数」を無理に推定しないことです。現在確認できる研究では、江戸時代の大坂については「買物案内記」などを使って茶屋や料理屋の分布が研究されており、江戸と同じ分類による居酒屋総数ではありません。

大坂では17世紀後葉から茶屋が発達し、18世紀には堀江、道頓堀、新地などに広がりました。19世紀になると芝居茶屋や仕出し専門とみられる料理屋も発達し、宴会では会場、料理、配膳、芸者などの分業も進んでいたとされています。

大阪府立図書館も、当時の大坂について、諸国から物資が集まり、海産物や山の幸、調味料などに恵まれたことを背景に料理文化が発達し、高級料理店から屋台まで幅広い食文化が存在したと紹介しています。

したがって、

江戸=居酒屋で日常的に飲む文化
大坂=料理屋・茶屋・宴会などを含む食文化

という違いを見ると分かりやすいでしょう。

ただし、これは「江戸は酒、大坂は食」と完全に二分できるという意味ではありません。大坂も酒の重要な生産・流通拠点でしたし、江戸にも高度な料理文化がありました。

剣菱・土佐鶴・梅錦から考える「うまい酒」

ここからは、歴史の数字とは別に、実際に酒を大量に飲んできた人間の「舌」の話です。

日本酒を長く飲んでいると、最初は「酒なら何でもいい」と思っていても、次第に違いが分かってきます。

甘い、辛いだけではありません。

口に入れた瞬間の柔らかさ、米の旨味、酸味、アルコールの押し、飲み込んだ後のキレ、料理との相性、常温や燗にしたときの変化。こうした要素が積み重なって、「これはうまい」「これはどうも好きじゃない」という感覚になっていきます。

たとえば剣菱が好きで、土佐鶴を「絶品」、愛媛の梅錦を「最高」と感じるなら、単純に「辛口なら何でも好き」とは言い切れません。

むしろ、酒に骨格があり、食事と一緒に飲んだときに旨味とキレが感じられる酒に惹かれている可能性があります。

一方、伏見などの比較的柔らかく穏やかな酒質を「物足りない」と感じる人もいます。これは酒の優劣というより、明確な嗜好の違いです。

灘の酒では宮水が知られています。宮水は酒造りに適した水として知られ、発酵を支え、灘の酒の「後味の切れ」に関係すると説明されています。

そして歴史を振り返ると、江戸の居酒屋で飲まれていた酒にも上方の酒が重要な位置を占めていました。江戸では「下り酒」が人気を集め、伊丹の剣菱などが代表的な酒として知られていました。

つまり、江戸の居酒屋文化を調べていくと、現代の酒好きにも馴染みのある「灘や上方の酒」に行き着きます。

「酒なら何でもいい」と言いながら、長年飲み続ける。

すると、いつの間にか舌が覚えている。

これは、酒の知識を先に覚えたからではありません。実際に大量に飲み、比較し、身体で「自分のうまい」を覚えた結果なのです。

だからこそ、「有名だからうまい」「高級だからうまい」という評価とは別に、

「これはうまい。これは俺には合わん」

という判断ができるようになります。

日本酒の面白さは、そこにあります。

まとめ

江戸では1811年に1,808軒もの居酒屋が確認され、酒と食事を日常的に楽しむ文化が広く根付いていました。一方、大坂では料理屋・茶屋・仕出しなどを中心とした独自の食文化が発達しており、同じ数字で単純比較することはできません。

そして酒の「うまさ」は、甘口・辛口という一言だけでは決まりません。剣菱、土佐鶴、梅錦のような酒を飲み続けて「うまい」と感じるなら、それは長年の飲酒経験によって、自分自身の味覚の基準ができてきたということです。

江戸の1,800軒という数字の面白さは、単に「昔の人は酒好きだった」と分かることではありません。酒を飲む場所、酒を造る土地、酒を運ぶ商業、そして飲む人の舌までが一つにつながって、日本の酒文化が形成されていたことが見えてくる点にあります。