「1937年の南京戦では、中国軍が約10万人も南京を守っていた」と聞くと、「その兵士は南京出身者だったのか」「南京にも地元の兵士がいたのか」と疑問に思う人は少なくありません。
結論からいえば、南京を守った中国軍の大部分は南京出身者で構成された「南京軍」ではありません。国民政府の中央軍を中心に、上海方面から撤退してきた部隊、広東など地方から移動してきた部隊、南京に常駐していた教導総隊や警察・憲兵部隊などが集められていました。兵力についても資料によって差がありますが、約10万~12万人前後とする資料が確認できます。
本記事では、1937年の南京戦に参加した中国軍がどこから来たのか、主要部隊の出身地・編成、そして「南京兵」は実際に存在したのかを整理します。
1937年の南京戦で守っていた中国軍は何人だったのか
まず注意したいのが、「南京解放戦争」という呼び方です。
1937年12月の戦闘は、一般に「南京戦」「南京攻略戦」、中国側では「南京保衛戦」「南京保卫战」などと呼ばれます。当時の南京は中華民国の首都であり、1949年以後の「解放」という政治的意味で呼ぶのは時代的に適切ではありません。
南京防衛を担当したのは、唐生智が司令長官を務める南京衛戍軍です。
兵力は資料によって異なります。南京市などの資料では、当初の5万人余りに加えて上海方面などから部隊が集まり、最終的に約12万人になったと説明されています。また、南京防衛の戦闘序列を7個軍・14個師として約10万人余りとする資料もあります。
したがって、「約10万人」という理解は大きく外れていませんが、「正確に10万人だった」と固定するのは避けたほうがよいでしょう。
重要なのは、この約10万~12万人という数字を「南京市民から徴兵した兵士10万人」と考えてはいけないことです。
南京守備軍の中心はどこから来たのか
南京守備軍の大きな特徴は、複数の地域・系統の部隊が集められていたことです。
特に重要なのが、1937年夏から秋にかけて上海で日本軍と戦った「淞沪会戦」、日本語では一般に「第二次上海事変・上海戦」と呼ばれる戦闘から撤退してきた部隊です。
南京防衛に参加した部隊の多くは、この上海戦で大きな損害を受けていました。
代表的なのが第87師、第88師、第36師、第74軍、第66軍などです。つまり南京で戦った中国兵のかなりの部分は、「南京で新たに編成された兵士」ではなく、上海方面から戦いながら南京へ移動してきた兵士でした。
中国側の資料でも、南京防衛部隊の多くが上海戦から撤退した部隊だったと説明されています。
第87師・第88師は「南京兵」だったのか
ここは特に誤解されやすい部分です。
第87師と第88師は、南京と非常に深い関係を持つ部隊でした。しかし、「南京出身の兵士で作られた部隊」という意味ではありません。
両師はもともと蒋介石の国民政府に近い警衛部隊を母体としており、1931年に国民警衛第1師・第2師から第87師・第88師へ改編されました。
つまり、
- 南京との関係は非常に深い
- 中央軍の精鋭部隊だった
- 南京周辺に配置されていた時期がある
- しかし兵士全員が南京出身というわけではない
という整理が適切です。
さらに第36師も第87師・第88師の補充部隊を基礎として編成されたため、これら3個師団には強い組織的なつながりがありました。
1937年の上海戦では第87師・第88師・第36師が大きな損害を受け、その後南京防衛に投入されます。
したがって「南京にいた精鋭部隊」という表現なら一定の意味がありますが、「南京出身兵の部隊」とするのは正確ではありません。
第74軍はどこの兵士だったのか
南京戦を理解するうえで、第74軍も重要です。
第74軍は1937年9月に第51師と第58師を中心に編成され、その後上海戦に参加しました。そして上海方面で大きな戦闘を経験した後、南京方面へ移動しています。
第51師・第58師の形成過程を見ると、単純に一つの省だけから集められた軍隊ではありません。
第58師には浙江系の保安部隊などが組み込まれており、一方で旧来の軍閥系部隊を引き継いだ部分もありました。第51師にも複雑な部隊再編の歴史があります。
そのため、「第74軍=浙江兵」「第74軍=南京兵」のように一つの地域だけに分類するのは危険です。
むしろ、当時の国民政府軍では、部隊番号がそのまま兵士の出身地を意味しないことを理解する必要があります。
第66軍は広東系だった
一方、かなり分かりやすい例が第66軍です。
第66軍は1937年、広東の余漢謀系部隊を基礎として編成されました。
同軍は広東から北上して上海戦に参加し、その後、上海方面から撤退して南京戦に投入されています。
つまり南京を守った中国兵の中には、南京から遠く離れた広東方面を基盤とする兵士もいました。
これは「南京守備軍=南京市民」というイメージが間違っていることを示す非常に分かりやすい例です。
第66軍は上海戦で大きな損害を受けたため、南京戦の時点では当初の編制を維持できないほど弱体化していました。
それでも南京防衛に投入されたのです。
教導総隊は南京にいた部隊だった
では、本当の意味で「南京にいた部隊」は存在したのでしょうか。
存在しました。その代表が中央軍校教導総隊です。
教導総隊は南京に置かれていた中央軍校系の部隊で、南京防衛では重要な役割を担いました。
ただし、これも「南京市民による軍隊」という意味ではありません。
教導総隊は軍事教育・訓練を目的とした中央系の部隊であり、1937年には上海戦にも投入されています。その後南京へ戻りました。
南京防衛直前には兵力の補充・拡大も行われましたが、短期間で新兵が加えられたため、全員が十分な訓練を受けた精鋭だったわけではありません。
つまり、
「南京に常駐していた部隊」
と
「南京出身者で構成された部隊」
は別物です。
ここを分けて考えることが重要です。
では「南京出身の兵士」はいなかったのか
結論として、「いなかった」と断定することもできません。
南京周辺の出身者や南京に居住していた人が中国軍に所属していた可能性は当然あります。また、南京には軍・警察・憲兵・軍学校などの組織が存在していました。
特に南京には首都機能が集中していたため、軍事関係者や官吏、学生なども多数存在していました。
ただし、現在確認できる南京防衛軍の主要な戦闘序列を見る限り、南京出身者だけを集めた「南京師団」「南京軍」のような大規模な地元部隊が南京防衛軍の主力だったわけではありません。
したがって、
「南京兵はいたのか?」
という問いには、
「南京出身の兵士はいたと考えるのが自然だが、南京守備軍の主力が南京出身兵で構成されていたわけではない」
という答えが最も妥当です。
南京守備軍を「出身地」で見るとどうなるのか
南京防衛軍を大まかに整理すると、次のようになります。
| 部隊 | 主な背景 | 南京との関係 |
|---|---|---|
| 第87師 | 国民警衛第1師を母体とする中央軍 | 南京と非常に深い |
| 第88師 | 国民警衛第2師を母体とする中央軍 | 南京と非常に深い |
| 第36師 | 第87・88師の補充部隊を基礎に編成 | 中央軍系 |
| 教導総隊 | 中央軍校系、南京に常駐 | 南京に駐屯 |
| 第74軍 | 第51・58師を中心に編成 | 上海戦から南京へ |
| 第66軍 | 広東系部隊 | 広東から上海を経て南京へ |
| 第78軍・第36師 | 第87・88師などと関係 | 上海戦から南京へ |
| 第2軍団 | 湖北方面から増援 | 後方から南京へ |
このように見ると、南京守備軍は「南京の軍隊」というより、南京という首都を守るため全国各地を基盤とする国民政府軍を集結させた軍隊だったと考えるほうが実態に近いでしょう。
なぜ南京出身兵が主力ではなかったのか
理由は軍隊の編成制度にあります。
1937年の中国では、現在のように「各都道府県から一定数を徴兵して、その地域の防衛部隊に入れる」という単純な仕組みではありませんでした。
国民政府軍には中央軍、地方軍、旧軍閥系部隊など、異なる背景を持つ軍隊が存在していました。
そのため、ある師団の兵士が同じ地域の出身者だけで構成されているとは限りません。
さらに、1937年の南京戦は上海戦直後でした。
上海で日本軍との大規模な戦闘が行われ、中国軍は大きな損害を受けながら後退しました。そして日本軍が南京へ進撃したため、撤退してきた部隊がそのまま南京防衛に組み込まれました。
この事情から、南京守備軍には「上海戦経験者」と「急いで補充された新兵」が混在していました。
したがって、「10万人の南京兵が南京を守った」というイメージは実態とはかなり異なります。
「南京兵」という言葉を使うときの注意点
歴史記事を書く場合、「南京兵」という言葉には注意が必要です。
「南京を守った兵士」という意味なら使えます。
しかし、
「南京出身の兵士」
という意味で「南京兵」と表現すると、誤解を招きます。
より正確なのは、
「1937年南京戦の中国軍」「南京守備軍」「南京衛戍軍」
などの表現です。
また、南京守備軍の兵力についても「10万人」と断定するより、「資料によって差があるが約10万~12万人規模」と書くほうが史料状況に適しています。
特に戦闘前後では部隊の移動、損害、補充が続いていたため、兵力を一つの数字だけで表すことには限界があります。
まとめ
1937年の南京戦で南京を守った中国軍は、南京出身者だけで構成された「南京軍」ではありませんでした。
中心となったのは国民政府の中央軍系部隊であり、第87師、第88師、第36師、教導総隊などが重要な役割を担いました。さらに上海戦から撤退してきた第74軍、第66軍なども南京防衛に加わっています。
出身地域も一様ではありません。広東を基盤とした第66軍のような部隊もあれば、浙江系など複数の系統が混在した第74軍もありました。
一方、南京に常駐していた教導総隊のような部隊も存在します。そのため「南京と無関係な兵士だけだった」というのも正確ではありません。
最も正確にまとめるなら、
「南京出身の兵士はいたと考えられるが、南京守備軍の主力は南京出身者ではなく、全国各地を基盤とする国民政府軍・中央軍・地方系部隊を南京に集めたものだった」
となります。
FAQ
Q1.1937年の南京守備軍は本当に10万人いたのですか?
資料によって数字に差があります。約10万~12万人前後とする資料があり、「約10万人」という理解は概数としては妥当です。ただし、戦闘前後の増援・損害・撤退を考えると、一つの数字を絶対値として扱うべきではありません。
Q2.南京出身者だけで作られた師団はありましたか?
南京防衛の主力について、そのような大規模な「南京出身者部隊」が存在したとは確認できません。南京に駐屯していた部隊と、南京出身者で構成された部隊は区別する必要があります。
Q3.第87師と第88師は南京の部隊ですか?
南京との関係は非常に深い中央軍系部隊でした。ただし、名称や駐屯地から「兵士の大半が南京出身だった」と考えるのは適切ではありません。
Q4.南京を守った兵士は上海から来たのですか?
かなりの割合が上海戦から撤退してきた部隊です。第87師、第88師、第36師、第74軍、第66軍など、多くの部隊が上海方面で戦闘を経験した後、南京防衛に投入されました。
Q5.南京戦では新兵も多かったのですか?
はい。上海戦で大きな損害を受けた部隊には補充兵が加えられていました。また、教導総隊なども南京防衛準備の過程で増強されています。そのため、南京守備軍全体を「精鋭10万人」と見るのも適切ではありません。

